第6481回

観音寺信用金庫の須田雅夫理事長を表敬訪問

観音寺信用金庫の須田雅夫理事長を、同金庫本店に訪ねました。高松信用金庫の大橋和夫理事長、須田雅夫理事長ともに母校高松商のOBです。信用金庫は、地域の方々が利用者・会員となって互いに地域の繁栄を図る相互扶助を目的とした協同組織の金融機関で、主な取引先は中小企業や個人です。

株式会社の「銀行」と異なり利益第一主義ではなく、会員すなわち地域社会の利益が優先されます。さらに、営業地域は一定の地域に限定されており、お預かりした資金はその地域の発展に生かされている点も銀行と大きく異なります。両理事長とも高松商OBだと言うモノですから、厚かましく無理を申して押しかけたところであります。

そして高松信用金庫本店が近いモノで、まず2月に押しかけて行きました。その前後に、同庫仏生山支店長が牟礼祐美さんに替わりました。才女であります。そして観音寺信用金庫が、今日になりました。観音寺市は狭い香川県にあっても西の端にあり、高速自動車道を使っても高松から1時間弱かかりました。香川宅建の理事さん等は、1時間かけて高松まで出てこられている。改めに彼らの努力に、頭が下がります。

さて須田雅夫理事長さんですが、実のところ1週間ほど前に固い約束をしながら、私のポカで、大変失礼なことをしました。それでももう一度チャンスを頂き、また忙しいところ時間を割いて下さいました。西の方へ、足を向けて寝られません。実際のところ、西の方へ頭が向いています。

そんな冗談はさておき、須田雅夫理事長は私が46年卒で、二つ下と言われるので48年卒です。高松商の3年間は、松平公益会の学生寮で過ごしたとか。香川県の瀬戸内海には沢山の島しょ部があり、優秀な学生はこの学生寮で寝泊まりして、それぞれの高校へ通っていたというのは、過去に聞いたことがありました。

当時高松商キャンバス内にも、「学生寮」があったのですが、野球部員を中心に満室だったようで、高松城趾にあった松平公益会学生寮に寄宿して、高松商サッカー部で3年間汗を流したそうです。そうなんです、須田雅夫理事長は、生まれも育ちもそして働くのも観音寺なのです。そして共通するのは、高松信用金庫の大橋和夫理事長と同じ、たたき上げの理事長です。

これまでは信用金庫の理事長は、日本銀行や大蔵省から来ていたのですが、両理事長の経歴のようにプロパーがトップに就くとなると、一般行員のモラール(通称「士気」と呼ばれ、労働意欲・戦闘意欲などの集団の活動性の度合い、団結精神の強さのこと。)は否応なく上がります。大橋さんは、特に部下に「お前も頑張れ、俺もそれ以上に頑張る」と公言されています。

やはりトップに登り詰める人は、何かが違います。「人物」が違うのでしょうが、須田雅夫理事長はユニークでまたアイデアマンでもあります。観音寺信用金庫創立100周年記念事業で庫歌をつくり、それもみずからが作詞されています。私の長男も、私の17年間毎日書いている「会長日記」を題材にして「会長日記」を作ってくれましたが、面白い発想をするのですね。

「感(かん)謝を胸に進(しん)歩する未来」Activeかんしん。

一番が「現在」のかんしんのことが綴られています。

たゆまない 変わる時代の中で

情熱は 尽きることなく

輝ける未来 目指して 今

信頼と笑顔 胸に

歩み続けよう

face to face 「かんしん」

face to face 「かんしん」

二番は「過去」です。

そこにある 過去は誇りと自信

地域と共に歩んだ道のり

育ててくれた感謝を 今

信頼と笑顔 胸に

ともに進もう

face to face 「かんしん」

face to face 「かんしん」

三番は「未来」です。

これからも 続く 100年ストーリー

今日からも歩め一歩づつ

幸せをすべての人に 今

信頼と笑顔 胸に

新たな未来を

Only one 「かんしん」

Only one 「かんしん」

face to face 「かんしん」

face to face 「かんしん」

18日の詫びに、「会長日記」を贈呈しておりました。私の到着前に、お読みになったようです。挿入写真で、大北敏博(元巨人軍)さんと同級生であることもつかんでおられた。「昔栄えていた観音寺町にある金融機関は、「観信」だけになりました」と、寂しそうな中に凜とした姿勢を感じました。帰り道、百十四銀行、中国銀行、香川銀行が交差点に居並ぶ箇所へでくわしました。ここが、「観信」を仲間はずれにした各行が引っ越してきたところか。

電話で相談 メールで相談