高松に縁の深い竹村健一氏が死去
8日午後7時38分、多臓器不全のため都内の病院で死去されたと、新聞が報道している。89歳。今や昔の感はありますが、「だいたいやね」で始まる関西弁の辛口コメントで、一世を風靡した竹村氏。高松にも「香川竹村会」があって、アムロンの先々代の宮本高義氏が中心になって運営をされていました。実質は、長男現社長の宮本吉朗氏が、事務局長としてマネージメントされていました。
1953年京都大学を卒業し、毎日新聞に入社。竹村健一氏の一番の自慢、日本初(故人の言葉)、「フルブライト奨学生(米国が費用を持つ招待学生)」として米国に留学。英文毎日記者の傍ら、英会話入門書やラジオの台本を執筆。60年代後半から本格的な評論活動をはじめた。「世相講談」「竹村健一の世相を斬る」などのテレビ番組にも登場。
新聞で「香川竹村会」のことには勿論触れていないのですが、2ヶ月に一度程度「喜代美山荘花樹海」で、例会と懇親会をやっていたように記憶しています。一番の思い出は、「香川竹村会」の会員(会長・佐藤忠義四国電力相談役)有志と、中国上海・深圳等への視察旅行、平成8年6月と記録があります。今から23年前の頃、竹村健一氏が丁度今の私の年ぐらいでした。
この時私は生意気にも、現アムロン社長の宮本吉朗氏と同室させて頂きました。その節は大変失礼をしました。いみじくも令和最初の県知事表彰も、宮本吉朗氏と同席でした。高松JCの理事長など、多くの役職をされています。宮本吉朗氏がIT(情報技術)に精通し、経営者として抜群の才を持っているというのは周知のことですが、音楽にも造詣が深いのです。
先の中国旅行でも、竹村健一氏はどこへ行っても日本人には人気者でした。通訳の中国人男性も、今日の昼のNHKテレビの内容にも精通するなど、日本のことは何でも知っていると胸を張っていましたが、竹村健一氏のことは全く知りませんでした。竹村健一氏は、NHKにはほとんど出ていなくて、民放の番組でした。その事を知った彼は凄く落ち込み、NHK一本で日本通にはなれないと気がついたようでした。
ピアノに向かい、突然弾き出す竹村健一氏、奥様は絵描きで、販売活動の中心になっていました。89歳の竹村家でも、家庭では女性がリーダーだったのですね。ご冥福をお祈りします。