息子が書いた『父真鍋康男の生涯』頂く



2025年9月4日初版発行の『父真鍋康男の生涯』を、真鍋健彦元高商紫雲会会長から頂戴しました。長兄の真鍋康彦(高松琴平電気鉄道相談役)氏が上梓されたもので、A5版100ページを超える力作。私も松野不動産㈱社長在任の頃、知事賞受賞記念と言うことで、同じように長男・賢士が『会長日記』を出してくれた。驚くと共に、彼の聡明さに感心し、二重の喜びを味わいました。
私の場合は、2002年から会社のホームページに掲載した『社長日記』を題材にしたもので、元は私が書いた原稿です。真鍋康彦相談役は、昨年からの香川日産本社新築工事のため社長室を整理していた際に出てきた、父親・真鍋康男の貴重な資料の中から抜粋したものであります。散逸しそうな父親の正確な記録を、父の子孫のために書き残すと書かれています。
世が世であれば、『世界の日産自動車』の社長になっていても不思議のない人物であった真鍋康男社長(香川県三木町出身・大正14年3月香川県立高松商業学校卒)ことが、窺いしれます。終戦の数日前から2年間、病気療養休職。8月15日の玉音放送の内容を当月10日に知り、とうとう精魂尽きはて倒れてしまった。入院時の情況から見ても、よく一命を取り留めたものである。その後高松に帰り、香川日産自動車を起こし、今日のモータリゼーションを予見し、屋島ドライブウェイを私費を投じて作ったのです。
屋島ドライブウェイは、昭和29年頃から基本調査を始め、1961年(昭和36年)、屋島南麓から山頂へ至る観光有料道路「屋島ドライブウェイ」を民間事業として開発・開通の完成を得た。この道路は、瀬戸内海国立公園の景観や源平合戦の史跡を望む展望ルートとして、観光客誘致に大きく貢献しました。公共団体でなく、いち個人が作ったのです。
長年にわたり民間運営されていた屋島ドライブウェイは、地域活性化と観光振興の観点から高松市が買収。2018年5月より、市道「屋島スカイウェイ」として無料開放され、誰でも気軽に屋島山上へアクセス可能となりました。逆に駐車場が、普通車300円徴収されるようになりました。高松市はこの道路を通じて、屋島の自然・歴史・文化資源を活かした観光整備を進めています。真鍋氏の功績を讃える顕彰碑が屋島山上に建立され、2025年1月には除幕式が行われました。
もう一つ特筆されることは、『宇高フェリーボート開設』。昭和28年4月に真鍋康男氏が書いた文章によると、当時高松は四国の門戸として四国へ出入りする人及び物資の大半が高松を経由して四国各県に集積されているが、10年後の四国の玄関は、恐らく徳島・鳴門・小松島が高松に」とって代わるモノと思われると心配したモノを書き残している。
将来的に東海道本線の貨物輸送の実情を観るに、今後益々自動車輸送増加の傾向にある。自動車利用による貨物輸送が増加しているので、宇高フェリーボート開設強化に宇高経由京阪神ルート(自動車輸送ルート)の確立が期せられれば、東海道本線の如く、恐らく自動車による貨物輸送は今後画期的に増加することが予想され、四国の玄関としての高松の地位が益々クローズアップされると共に延いては高松及び香川県の繁栄に期して待つべきモノがある。
また物資のみならず人員輸送の場合にも同様のことが考えられ、将来屋島ドライブウェイ建設の暁には、この京阪神ルートの確立と共に県外観光客は飛躍的に増加し、10年後の屋島観光客200万人も決して夢ではないであろう。このように、現在の自動車社会を俯瞰したような記述が多い。宇高国道フェリーがあったから、瀬戸大橋が出来たとも言える。
国会図書館に残る真鍋康男の原価計算記録も、門外漢の私には理解出来ないが秀逸のモノらしい。昭和16年陸軍省がとりまとめ日刊工業新聞社が刊行し、国会図書館に保管されているモノだが、機械工業原価計算(真鍋康男)の名前がある。標題部だけで詳細は掲載されていないが、提供先は国立国会図書館デジタルコレクションとある。今だと閲覧に出かけなくても、パソコン画面で出来るのかもしれない。
国会図書館つながりで言えば、この本3冊を国会図書館へ寄贈すると良い。私も先の『会長日記』を、人の薦めで国会図書館へ郵送した。そしてひょんなことから閲覧に行って、時間はかかったが受付窓口に出てきたときのうれしさはひとしおでした。当然、誰も閲覧してないので時間がかかった。その時発行された『登録利用者カード』は、私の密かな家宝になっています。真鍋康彦相談役も、是非閲覧に行ってみて下さい。『父真鍋康男の生涯』が、一層愛しくなりますよ。