第4988回

小欄への書き込みから投稿削除はたまたカオハガン島のことまで

小欄は、2002(平成14)年11月1日から始まりました。棚元政夫(アルミファクトリー代表取締役)氏から、刺激を受けたものです。棚元政夫氏とは、その頃は面識がなくセミナーで一緒に勉強させて頂く程度の仲でした。それが今では、盛和塾で塾長追っかけをともにやっています。

あれから14年目に入っていますが、当初いつまで続くかと心配をしていましたが、それが存外続いています。毎日大変ですねと言う癒やしの言葉を頂くこともありますが、むしろ「毎日」だから出来ているのだと私は考えています。

お気づきの読者もあろうかと思いますが、日常は出社して昨日付でアップしますが、忘れていて夕方に慌ててアップすることもあります。休日も、どこかでアップしています。最近は電車の中でも、バスの中でもインターネットに上げることができ、楽をしています。

さてさて14年目ですが、これまでも私が書いた意見に「投稿」する人がいました。なかには辛辣な意見などありましたが、私は気にしないタイプで書き込んだままにしていました。周りから、「消したら」と言われた愚息のことなどもありました。「親の七光りのダメな跡取り」でしたが、まず親の七光りなどありませんから。

それが最近の書き込みで、自分が書き込みをしたくせに「削除」要求がありました。過去にも一度だけ、勝手に自分のことを日記のなかに書かれているとクレームがあり、その人の登場する記事そのものを抹消したことはありました。写真も指摘されれば、必ず抹消しています。

従って、記事の訂正や抹消の方法は知っていました。しかし書き込みの抹消は、14年間やったことのない操作から、投稿者の電話による催促にもかかわらず、書き込みの抹消はコンピュータ師匠に聞かないと分からない状態が1週間ほど続きました。

やり方を聞いてとりあえず、リクエストの投稿は抹消できました。安心をして確認をしたらその前の書き込みが台頭してきたのです。上がなくなるとしたからまたまた出てきます。結論から言って、書き込みの掲示欄を抹消しました。こんな作業が、10日間ほどの私の心労になっていました。

これと前後して、過去に私がフィリピンのカオハガン島へ行った旅行記を読んだという神奈川県大磯在住の御仁から、カオハガン島について意見を求められるということがありました。インターネットの世界は、ある意味怖いですね。いつどこで、誰が読むか分からない。

私は常に、相手(国県市関係は除く)を誉めることに徹しているつもりですが、取りようによっては誤解も生じます。読んだ人の、その日の体調にもよると思います。先の書き込みにしても、そこに返事を書いたことはありません。電話でお礼を言うなどしています。

私は「会長日誌」に一方的に意のままを掲載するだけで、フェースブックFacebookやツイッターはやっていません。意見に意見を述べるディベートは、あくまでも顔をつきあわせてやるべきだと考えています。

本日は、「会長日記」について所感を述べさせて頂きました。毎日読んでいるというヘビーユーザをはじめとして、1千人を超える読者が来ている小欄です。いい加減ですが、これからも続く限り、浅学非才ではありますが毎日コツコツと書きます。本日も、ありがとうございました。

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