第3553回

今日は松野不動産株式会社の誕生日

正直私も今日が、創業記念日だと言うことを忘れていました。朝礼の席で、古参から指摘を受けて、やっと気がつく体たらく。恥ずかしいと言うやら、社員さんの成長にビックリします。「社長!指針書に書いてあるじゃないですか」と言われ、確かにその通りであります。

毎朝飽きもせず、経営指針書の音読をしています。毎日読む最初の4ページは、殆どの社員が暗記をしています。盛和塾に入塾して最後の変更を加えて、その後は変わっていません。指針書を朝礼当番のリードで音読をして、コンプライアンスを1ページ読んで、京セラフィロソフィーを読みます。

そして朝礼当番の「今日の一言」へ続きますが、ここでも自己研鑽をしている様子が手に取るように分かります。他社の動向を聞いて、自らの立ち位置を再確認する社員。昨対比の営業数字と今年の数字を比べて、今度は契約件数目標を自らに嫁してそれを追い続けている社員。

昨日は思わぬところで元社員の名前が出て驚きましたが、程度の差はあれ、マツノイズムが浸透していることを実感します。世間では40歳にして迷わずと言いますが、私は60歳になるにつけてようやく「不惑」の域が分かるようになり、社長がブレなくなって社内のベクトルが合ってきたのを感じております。

会社設立の頃の話しを少しさせて頂きます。昭和55年元旦、義父の元へ新年の挨拶へ参りました。自分は飲まないのに酒を用意し、私に酒をすすめて「親孝行だと思って不動産業をやらないか」と言うのです。自分は国鉄マンでしたが、薦めた何人かが実際開業して、不動産業で成功しているというのです。

その年の宅地建物取引主任者試験に合格し、56年2月に「誠幸不動産」として創業しました。家業の「誠幸麺業」という4代続いた製麺所の後継者として働いていて、兼業で義父の喜ぶ不動産業の看板を掲げました。ここから数えて30周年記念の年が、昨年でした。はじめてホテルでの、指針書発表会をやりました。

それから2年が過ぎて3年目の免許更新にあたり、個人免許を廃業し法人化に踏み切りました。やるなら徹底する私の性格がそうさせたのでしょう。いやいや法人化で、良い格好がしたかったのかも知れません。いずれにしても、それが昭和58年3月24日、今から29年前の今日でした。

大学を卒業して麺職人をやりながら、6年目に不動産業を兼業し、ここから約7年間両方をやってきました。家業の麺業を、廃業することがなかなか出来ませんでした。昨日の日記に登場した竜雲学園へ機材もノウハウも一式買い取って貰い、母親の退職金としました。

母は、丁度60歳でしたがそれからの10年間、竜雲学園で麺づくりの先生として若い園児に遊んで貰っていました。それが今では、竜雲舜虹苑でその教え子に面倒を見て貰っています。苑長クラスを母は呼び捨てにしています。私の母です。

1989(昭和64)年麺業を廃業して、気分転換もあって事務所移転をしました。もう言い訳が出来ず、自分なりに一生懸命やってきたと思っています。媒介(仲介)一本で徹底したのと、勉強はしました。開業した頃に、不動産売買物件の流通化を建設省(国土交通省)が国是として力を入れて、コンピューター化が本格的に始まったのでした。

このような経緯を経て今に至っていますが、私には越えなければならない壁があります。昭和56年の開業直後、懇意にしている四十過ぎのご婦人に、「あんた口入(くにゅう)にやなって、口入は人のする仕事じゃない」と言われたのです。不動産業者のことを、口入師というのだそうです。

私は、親孝行だと考えてこの仕事に就きました。それが口入師と呼ばれるこの業界です。この世間評価を上げなければ、死んでも死にきれないし、跡を継ごうとしている子供達に対しても申しわけがなく、100年存続する会社を作ることも出来ません。そこで私は、事業の繁栄と業界の地位の向上をクルマの両輪として考えるようになりました。

創業記念日に初心を忘れないために、こうして自らの意志を再確認するために書かせて頂きました。お読み頂きありがとうございます。感謝です。

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