いやしの空間 さ房 むらっぺ









仏生山公園に隣接する「前池」のほとり、景色に溶け込むように立つ「むらっぺ」。高商OB村川順一郎(㈲神生建設代表取締役)さんが、家族で経営する「さ房」です。恥ずかしながら3年前に出来ていて、仏生山町に住んでいながらはじめて訪れました。
そもそも喫茶店へ行く習慣が、私にはないものですから、ご免なさい。しかしここは、食事処でもありました。主に後期高齢者の方が大勢ですが、お客様がお越しです。駐車場は5台ですが、公園横ですから空間はあります。今日は、隣の市営駐車場(仏生山公園専用車両無料)も開放されていました。
紫雲会役員有志で、「むらっぺ」で開催中の阿名有(本名:穴吹忠義)さんの写真展を見るという理由を作って、総勢9名で押しかけました。村上順一郎さんは、もちろん既知の仲ですが、仏生山町内でも保護司などお務めで、有名人です。またご母堂様も、わが母と同じくらいの年齢ですが、大変お元気です。
資料にもあるように、昨年6月にNHKテレビ「♪笑ってうたって♪しあわせ家族」で紹介されたのは、私も観ました。伍代夏子さんが、「むらっぺ」に立ちより、元気なおばあちゃんと人生を語り合うという趣向でした。偶然ですが、今月の森吟三画伯の絵も、伍代夏子さんです。
その時、伍代夏子さんが食べたという「煮込みうどん」が出て来ました。おばあちゃんの手料理で、予約がないと食べられない品物です。今はかなり希少な食べ物になりましたが、その昔、私が若い頃は普通の家庭料理でした。「手打ちうどん」の原点です。
また特別に、村上順一郎さんらの「相撲甚句(すもうじんく)」の披露もありました。村上順一郎さんのお父さんかお祖父さんの兄弟が、「神生山(かみおいやま)」というしこ名で、相撲取りでした。神生山の使ったまわしも、何かの機会に見たことがあります。そこから神生建設になって、「讃岐相撲甚句伝承会」で相撲甚句を唸っている訳です。
「相撲甚句」と言えば、昨日の栗林公園掬月亭前での写真で、右に写っている高松東LC次期会長L竹川も、村上順一郎さんらと相撲甚句を披露するメンバーの一人です。なになに左の女性は誰か、左は同じクラブのL二見です。偶然ですが、いろいろつながっていきます。
話を戻して、確かにここのあたりは、仏生山町の新名所になっています。五重塔が完成した法然寺とは、前池を挟んで数百メートルの対角線上にあります。周辺は市営仏生山公園ですが、花見の名所にも拘わらず火気禁止です。バーベキューが出来ないのは、実に寂しい限りです。もっともそれは、使う側の責任だと言われていますが・・・。
また仏生山公園は、10月の大名行列まつりの舞台ですが、隣接の法然寺に新たに五重塔が完成したことで、今日もそうでしたが、大型バスが入ってきています。ここからおよそ1.5㎞、仏生山駅至近の農業試験場跡地に市民病院が建ち、賑わいの再創を意図した利用が進むと、これからの仏生山町は少なくても100年間、高松市の賑わいの中心になることでしょう。
これからの観光は、「話題観光(私の造語です)」が中心となります。「面白そうだから」という動機が、人を動かします。仏生山は話題の宝庫になります。「南部複眼都市」という形容詞を30年前、うどん屋から不動産業界へ参入した時に、大型看板に書いたキャッチフレーズです。
そうそう法然寺境内の「竜雲うどん」も、とびきり美味いと評判ですが、その元祖は母がここへ廃業に際して引き取ってもらった産物です。素麺などの製造機や製造方法も、伝えました。そして自らが指導した若者に、いま介護されて暮らしています。
それらの形は違えども350年前は、法然寺に眠る松平頼重公が、この地に持ち込み民衆に素麺の製造を許したのが始まりです。殿は楽市楽座的なものを奨励し、自らが骨を納めるつもりのこの法然寺の境内を、民衆の墓所として貸し与えることも許されたのでした。これらは仏生山法然寺条目に定めています。
地元史家玉岡嘉尚氏の「仏生山法然寺を訪れる」によれば、「高松初代藩主松平頼重公は徳川家康の孫であり、水戸光圀公の実兄にあたる。頼重公は法然上人を追慕(ついぼ)して浄土宗に帰依(きえ)し、高松入封の後、寛文8年(1668)、竹井斎庵を奉行として、この地の6万坪の境内に門33,お堂24,井戸20の仏閣僧房建立に着手し、寛文10年正月に落慶した。
法然寺は、境内諸堂の配置を、極楽浄土への道という目に見えない仏教世界を、讃岐の溜池と仏生山という自然を巧みに利用して分かり易く表現した「極楽浄土空間」を演出し、法然寺全体を浄土とみなし、死者が仏の世界へ辿り着くまでの過程を建物で表している。」とあるように、これら一連の動きを見ると、輪廻転生しているのかな。