自衛隊第14旅団創隊3周年・善通寺駐屯地開設59周年記念行事





標題の記念行事の日でした。とにかく「寒い」の一言です。北海道では季節はずれの豪雪ニュースが流れています。日本中が寒気団に包まれて、春だというのに雪が降っています。
昨年の記念行事は確か5月開催だったと思います。1ヶ月早いのと春の嵐で、準備側は大変な心労です。一般参加者も例年の半分と言われています。強風のため、パラシュート降下など一部のプログラムは中止になりました。
私は風が強くて寒いので、一般招待客用の「桟敷」へは上がらずに、今まで見たことがない舞台裏を見て回りました。
圧巻は「乃木記念館」でした。明治32年(1899年)第11師団の初代師団長(中将)に親補せられる。乃木希典大将がここの初代の師団長です。築後110年と言われる木造洋風建築物の2階に、記念資料が展示されています。この記念館は、駐屯地本体の敷地とは少しだけ離れたところにあります。
偶然ですが、「乃木記念館はどちらにありますか」と制服組に聞いたところ、「ちょうど私も参ります」と言って案内して下さいました。距離にしてわずか400㍍程度ですが、歩くのが速いのなんの、私も速いほうだと言われますが、駆け足でついていきました。
すれ違う自衛官がみんな敬礼をするのを見ると、この案内人は相当地位の高い人かと思いますが、そんな人もやはり自衛官は体を鍛えているのですね。感心します。
その資料の間に、「水師営の会見」の写真がありました。日露戦争終戦の会談で、乃木大将とステッセル中将らが一緒に写っている一枚の写真です。
旅順攻略戦後にロシア軍旅順要塞司令長官アナトーリイ・ステッセルとの間で水師営の会見が行われた。そこでの乃木の紳士的で寡黙な雰囲気は、諸外国の記者が持つ日本人観に大きな影響を与えたといわれている。乃木はステッセルらロシア軍幕僚にも帯剣を許し、従軍記者たちの再三の要求にも関わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、彼らの武人としての名誉を重んじた。
乃木の姿勢は世界中から賞賛され、日本の国際的地位すら向上させたことから、やがて乃木は「旅順の凡将」から、東郷平八郎とならぶ日露戦争の英雄となり、その後、長く軍人精神の具現者と見なされるようになった。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
良い体験をした駐屯地開放記念日でした。