喪中はがきと年賀状&来年用カレンダー
この時期になると、喪中はがきが届く。葬儀に行った人、事前に訃報を聞いていた方はさほど驚かないが、突然来た喪中はがきには大変驚く。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先立つ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。「白骨の御文」の一節ですが、まさにここに書かれているとおりの人の一生です。浄土真宗の葬儀で必ず読まれる「白骨の章」は、親鸞聖人から2百年後、親鸞聖人の教えを正確に、日本全国津々浦々に広められた蓮如上人が書かれたお手紙である「御文(おふみ)」の1つです。
あくまでも浄土真宗での教えですが、私のような浅学非才な者でもこの言わんとする内容が、宗派にかかわらず『真理』だと思います。私も冗談のように「人や先、我や先」という一節を口にしますが、蓮如が言うのは「我や先、人や先」つまり自分が死ぬのだと言っているわけです。願いとしては「人や先、人や先」であって、決して自分は死なないと安心し、実感していないのです。
私は父親が37歳、私が10歳の年に他界しています。父親からの躾(しつけ)がなかったモノで、このように非常識な人間になってしまったのかと思うことがありますが、そのため死というモノは必ずおとずれるという実感は早くからありました。兄妹して、「かあちゃんが倒れたなら我らも死ぬ」と漠然と考えていました。妹は戦士、だから今でも仲が良いのかと思います。
さて喪中のはがきから、「白骨の御文」に至りましたが、古希を迎えここまで生きながらえてツラツラ振り返れば、自分は何と幸運に恵まれてきたことか。こうして毎朝6時に目覚めてテレビ体操をし、朝食を頂き、多少の仕事をして、多くの輪の中に混ぜてもらい、夕べには帰る家があり、老少不定(本来は年寄りも若者も区別なく)のかみさんと多くを語りながら夕べを頂き、床につく。
こう考えると今しておくべきことは、今すぐ取りかかるべし。年賀状も枚数は減りますが、少しは出し、昨年同様カレンダーも半減しますが作ろうと考えています。「カレンダー頼む(くれ)」という声もあります。励みになります。SOHO(スモールオフィース・ホームオフィース)ですから、ともに量は減り昨年同様とはなりませんが、お許し下さい。蛇足ですが「白骨の御文」をつけておきます。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来りぬれば、すなわち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ あなかしこ