臼井忠義さん享年89歳の葬儀告別式
私が祖業の製麺業から現在の不動産仲介業に転身した27歳のときの、一番はじめのお客様が臼井忠義さん夫妻です。その臼井忠義さんが27日、私が高知市の日本トーター野球場で高松商の応援に駆けつけていた日の前日(26日)に89歳で他界されたと、ご子息から一報が入りました。農地の売却からアパートの建設まで、私の業界知識の成長とともにお付き合いくださったお客様でした。
創業の頃は今以上に経営資金が枯渇しており、アパート・マンションのオーナー様に株主をお願いしていました。当時は敷金も竣工時に100~300万円入り、返却はバラバラ。そんな関係から臼井忠義さんとは、自社旅行から所属宅建協会支部旅行まで、極めつけは娘婿さんが沖縄で仕事をしているというので、つり旅行まで一緒させて頂きました。当時大活躍の葉佐昭紀さんの誘いで、集団北海道スキー旅行もありました。ともに若くて、よく呑みよく食べていました。
人はいずれ遅かれ早かれ、あの世へ旅立ちます。「われや先、人や先、今日とも明日ともしれず」。奥様の弘子さんは、もう20年にもなりますか一足先に天国へ召されています。まさに夫唱婦随、阿吽の呼吸のお二人でした。再会はまだでしょうが、もうまもなく奥様の所へ駆けつけることでしょう。人は死んでから7×7日、つまり49日はこの世にさまよっていると聞きます。私がこうして日記を書いているのを、上から見ていることでしょう。悪口は書けません。
1ヶ月前の散歩中に、近くの流地蔵付近で倒れていたところを誰かの通報で救急搬送されて日赤高松へ収容され、退院して近くの病院に入院をされていたとの情報を、25日中野悦子オイスカ理事長に随行してタダノを訪問し、そこの社員である長男・臼井仁さんに多田野宏一会長のことを尋ねた際に「御尊父は達者ですか」と安否を確認したところでした。こういう偶然を「虫が知らせる」と言うのでしょうか。しばらくして、見舞いにはせ参じるところでした。
人の死んだ話しは書くなとかみさんに言われているのですが、私もやがて参ります。臼井忠義さんのことを書いてなくては、向こうで書く日記の整合性がとれなくなります。そんな冗談を長々と書きながら、あの頃を思い出しています。家族葬だと聞きましたが、告別式は参列します。ご冥福をお祈り申し上げます。