会長日記

第5591回

朝のLCCジェットスターで成田空港へ

何度目かのジェットスターですが、用心して1時間前に高松空港へ入りしました。高松はもう10日になりますか、毎日雨で、わが家のサツマイモの収穫も全部は出来ていません。大半7割程度はかみさんが堀だとしたと言っていますが、次のタマネギ・ジャガイモの作付けが出来ません。それよりも日曜日の、「高松秋のまつり仏生山大名行列」の片付けも出来ていません。

また大型台風21号が日本へ接近のニュースも流れ、各地でイベント中止が報道されています。氏神さん熊野神社の秋大祭も、この日曜日ですが、お下がりは中止かもしれません。高松で開催予定の全国水道集会も、期間短縮で開催になったようです。

私はこれから、パプアニューギニア国へ行きます。位置は日本から飛行機で6.5時間、赤道を越えたところ、日本との時差は1時間、オーストラリアの北です。台風21号の影響は、避けられるようですが、万一の航空機遅延も考えて、早めの便にしま…

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第5590回

日本の開発協力の起源by渡辺利夫

オイスカ四国研修センター設立50周年記念事業国際協力講演会と、長いタイトルの講演会でした。副題に、「八田與一を中心として」と併記されています。渡辺利夫氏は現オイスカの会長ですが、拓殖大学の学長総長として有名な学者です。本日は、日本統治時代の台湾について、僅か40分ですが持論を展開されていました。

明治維新から来年で、150年を迎える日本。明治27年の日清戦争は、明治維新から僅か27年、国際社会にデビューしてよちよち歩きの日本が、大国中国に挑んだ戦争です。日清戦争に勝利した日本は、台湾を得ます。その台湾を日本は、児玉源太郎台湾総督や後藤新平、そして八田與一らを中心として、統治をします。

その統治思想というか開発思想が、今考えても世界的に優れた植民地統治手法であったというのが、渡辺利夫氏の論旨です。まず社会環境の整備から始めます。次に台湾銀行を作り、集めた金でインフラ建設をします。キールン…

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第5589回

オイスカ四国研修センター設立50周年記念式典

オイスカ・インターナショナルは、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して、活動を続けています。オイスカは地球環境を考え、開発途上国の産業開発事業の推進と友好親善に取り組む国際NGOです。

OISCAの綴りは、Organization(機構)・Industrial(産業)・Spiritual(精神)・Cultural(文化)・Advancement-Internationalとなります。まず研修生に、日本語の指導から始めます。最初は苦労する外国人研修生ですが、退所する頃には立派に日本語をしゃべるようになります。

昭和43年3月、オイスカ活動の根幹でもある国づくりを担う「人づくり」活動の拠点の一つとして、香川県香南町冠瓔神社境内の一角にプレハブ建屋で四国研修センターが開所しました。その後、昭和56年12月、施設拡充を機…

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第5588回

第45回商業界中・四国地方ゼミナール

おかやま未来ホール(イオンモール岡山5F)で、表題のゼミが開催されました。私は会員ではないのですが、奨められて参加しました。過去に一度、安達俊彦氏が高松開催の実行委員長をしているというので、聴講した記憶があります。1万円ですから、安くはないと感じましたが結果は得したような記憶があります。

「正しい商売の考え方」を標榜し、1951年52歳の倉本長治さんが「店は客のためにある」と主張し、第1回商業界ゼミナールを開催したと説明書きにあります。全国80カ所の規模を有する「商業界」ですが、中・四国に9同友会があり、持ち回りで毎年ゼミナールを開催しています。

安達俊彦氏は退社したことから退会したのか、今は在籍していないようです。今回の岡山大会は、「あきない激変」とタイトルが書かれています。ゼミは4部構成で、昼からの鴨頭嘉人先生(東京カモガシラランド社長)、「マクドナルド伝説の店長が伝えるやる気を引…

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第5587回

公益社団法人香川県宅地建物取引業協会設立50周年記念式典&祝賀会

昭和42年5月の設立から、先輩らの尽力により協会が50年の月日を経ることになりました。この良き日に、国土交通省からまた磯崎仁彦参議院議員や浜田恵造香川県知事、大西秀人高松市長ら大勢の来賓、また全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)の伊藤博会長ら47都道府県の会長らをお迎えして、加えて宅建ファミリー共済など協力業者らも駆けつけて記念式典が厳粛に、また祝賀会が賑々しく行われました。

会場のJRホテルクレメント高松の飛天の間に、高額な会費を払って240名の香川県宅建協会会員さんが、また来賓関係で100名のお客様が集まっています。そして会場外には50の生花が並んでいます。全国の協会からの贈り物です。話には聞いていましたが、これほどまでの高価な花が並ぶと、思わず「おう」と声が出ます。

式典は10時半から、そして祝賀会は12時半から行われました。全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)の会長らは、一…

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第5586回

不動産特定共同事業法の改定に伴う説明会

表題の説明会が、高松サンポート合同庁舎低層棟2階アイホールで開催されました。快適な場所です。合同庁舎内にあって、セキュリティの邪魔が入りません。説明するのは、国土交通省土地・建設産業局不動産市場整備課の職員です。今月13日から1ヶ月以上かけて、全国説明会をやっていくようです。

不動産特定共同事業法は、大勢の投資家から資金を募り、不動産を購入したり賃借したりして収益を上げ、それを投資家に配当するものです。平成6年に、事業者許可制度を創設し、初めてのことでかなり厳しい責務を課していて、その成果が芳しくなかった。それで平成9年と25年に改正が重ねられて、さらに今回の改正になったのです。

日本の不動産投資はこれまで、現物に投資することはあっても、権利に投資する形態は少なかった。国土交通省は、アメリカ型の権利投資にも熱心で、早くは「空中権」など、境界や学校など低層階の建物の容積率を売買することを…

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第5585回

平成29年度宅地建物取引士試験が終わる

今年も全国で26万人以上の申込みがあった、「宅地建物取引士」試験が、10月第3日曜日の今日15日、全国一斉に行われました。県下会場は、県立高松南高校と香川大学工学部キャンパスの二カ所。私は工学部キャンパスの試験監督員として、試験会場へ行きました。私でさえ、もう10数年監督員をやっています。

10月の第3日曜日という日程は、古くから続いているからこの良き日があてがわれています。新しい国家試験等は、12月実施というのもあります。1958(昭和33)年の試験創設当初から、業界唯一の資格試験でした。今から59年前からですから、来年は還暦を迎えます。

企業では、5人の従業員に対して1名の宅地建物取引士(過去には宅地建物取引主任者と称していました)の設置が義務づけられています。取引士の専任業務として、重要事項説明書への署名押印と説明書交付、契約書等の書類への署名押印と説明交付は、宅地建物取引士出な…

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第5584回

高松秋のまつり初日イベントが始まる2017

第24回高松秋のまつりが、仏生山公園を舞台に始まりました。会場ではバザーも始まり、開会式が石のステージで行われています。私が会場に足を運ぶのは久しぶりですが、知り合いの顔、また若いスタッフの顔もありました。一番目についたのは、小学生のゴミ回収団員の姿です。大勢の小学生が、揃いのベストを着て、手にゴミ袋を持って会場内をパトロールしています。

本部席に準備した平成乙女の像募金チラシを置かせて貰い、昨日設置してくれた看板パネルを覗きます。ポケットを設けて、その中にも「雨プロ用チラシ」が入っています。昨日丸尾一幸さんが設置してくれたものですが、流石によく考えられています。ポケットも蓋が付いたもので、さらに中のチラシを守ってくれています。

その前に、平池堤の現在の「乙女の像」の前の看板パネルも見てきました。ここのパネルは、暫くここに残ります。ここにも同じように、雨プロ用のチラシが入っています。今…

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第5583回

高松秋のまつり仏生山大名行列由来で平成乙女の像看板立脚

第24回高松秋のまつり仏生山大名行列が、14日(土)15日(日)の両日、仏生山公園を中心に賑々しく行われます。その準備が12日から始まっていますが、今日13日は仏生山公園内にテントが大量に張られています。各町や竜雲学園、仏生山小学校、仏生山校区コミュニティ協議会などから必要なだけのテントが集められて、老人会などの手で次々に建っていきます。

生憎の小雨で、明日明後日の本番を心配する声も聞こえますが、スケジュール通りに作業は進みます。私は実行委員会メンバーから外れていますが、今年は佳境を迎えている平成乙女の像の周知用看板を作成し、公園内の本部席近くに設置することを実行委員会十河寛敬委員長に御願いし、承諾を得ました。

昨年の今頃は、高松栗林ライオンズクラブの幹事やら、平成乙女の像の募金活動で忙殺されて、「平成乙女の像の周知用看板の設置」などのアイデアは出ませんでした。今年は4日の小欄に仏生山…

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第5582回

Message香川のリーダーたち 速水史朗編

10月11日(水)から四国新聞地域経済欄で、表題の10回シリーズが始まりました。これまで数多くの県人が登場しているのですが、おしなべて心の中を潔く吐露しているのに驚く。前回の岩﨑一雄アムロン会長の記事は、それが一層鮮明であった。そのことを本人に伝えると、ただただ低頭されるだけでした。

速水史朗さんは、教壇に立つ傍ら美術を続けて60年。生まれも育ちも多度津町で、「地域が僕を育ててくれた」と副題がついています。ここで速水史朗さんのことをことさら取り上げるのには理由があって、弊社の社内階段のアール部分に、速水史朗氏の小さな彫刻があります。頂いたものですが、見るたびに何かを訴える作品です。

新聞で見る速水史朗さんの温厚な顔、道ばたで道路に絵を描いていたら、大人たちが人垣をつくって絵をのぞき込んでいる。あちこちから「ぼく、うまいなあ」との声。勝手に手が動いているような感覚。手のそばから、絵があふ…

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