阪神淡路大震災から今日で28年まだ道半ば
6434人が亡くなった1995年の阪神淡路大震災は、17日で発生から28年となった。いまでもあの朝のことは、よく覚えている。午前5時46分、寝ぼすけの私でもあの揺れには目が覚めた。思わずベッドの上に立ち上がろうとした。しかし、なすすべがなく揺れが治まるまで微動だにできなかった。『地震だ、大きい』、すぐにNHKテレビをつけた。
昨年神戸へ行く機会があって、駅周辺を見渡しても28年経過した神戸の街は、震災前と変わらぬ街並みを取り戻している。いやあの頃以上の密集を、創り出している。神戸などの大都会では、言われているような少子高齢化は感じない。しかし神戸市と言えども、海から離れた山間部までの平坦地でも、造成地崩落が心配される。
平成 7 年の兵庫県南部地震や平成 16 年の新潟県中越地震において、谷や沢を埋めた盛土や斜面に腹付けした盛土等が滑動崩落を起こし、多くの宅地被害が発生したことは、記憶に新しいし、阪神淡路大震災から28年を経過し、問題視されている。これまでにない想定外の大雨や、少しの揺れで宅地や後背地が崩落する事案が増えている。
日本国土の形成の有り様から、沿岸部から人口密集が始まり、長い月日を経て徐々に高台方向へ住居を移した。江戸時代の人口が7000万人、400年の歳月をかけて、現在は1億2000万人の日本人が日本列島の中でひしめき合っている。事故が起これば、『誰が悪い』と犯人捜しに没頭する日本人。でも私は、人間の生きるための『創意工夫』が生んだ惨事だと思っています。
阪神淡路大震災や3.11東日本大震災も、一応の復興は終了したように見えるのですが、先に書いたような潜在的宅地崩落への対策は、全く手つかず。もう一つ突き詰めれば、抜本的な対策は皆無だと思うのです。紙幅の都合もあり結論を申せば、『逃げるが勝ち』。そこの住むことをやめて、標高の高い例えばわが街『仏生山町』などに移り住んで、難を逃れる方法が現実的方法の一つだと思う。
仏生山町と言う固有名詞は言い過ぎですが、個々の問題、住宅ローンが残っているとか、子どもの学校とか山積している事情もあるだろう。しかし、命には替えられない。運悪く地震や大雨が深夜に発生したら、逃げる間もない。今後も崩落は、折に触れて全国各地で発生するだろう。人口が増えて、山間部への開発がドンドン行われた。すぐに危険と言う箇所は多くはないが、50年100年のスパンで見れば、山間部も逆に低すぎるところも危ない。
不動産業者の知見として言わせてもらうなら、両親や祖父母の住宅が現存するのであれば、このリフォームを是非見直したらどうだろうか。条件次第で、建て替えもありです。都会ではこの方程式も難しいと思うが、日本全国津々浦々、適地は多くあります。『新築神話』がコロナ後には、雲散霧消し始めるかもしれない。住居費は出来るだけ安く、快適空間にすべきです。