株式会社西山自動車新社屋落成記念式





かねてより小竹興業の手により、建築工事が進められていた㈱西山自動車(代表取締役西山巌)の新社屋が完成し、本日お披露目会が現地で行われています。設計・施工業者、はたまた自動車関係者が100名ほど集まっています。敷地も広いですから、車も簡単に整理して駐車をしています。
混んでいるところは記帳所で、ここは長蛇の列をなしています。私はこの土地に関係したとして、本日乾杯役の指名を頂き、この地の歴史をほんの少しだけお話ししました。乾杯は、景気の3段ロケット(今安倍内閣は3本の矢と表現していますが)にあやかり、「3・2・1・乾杯」で上げ潮の盛り上がりでした。
ここの代表地番は、髙松市仏生山町字新田甲5-1です。仏生山町は今から400年前、徳川松平藩初代藩主頼重公が、高松城から2里半(10㎞)はなれたこの地に、松平家の菩提寺をお作りになりました。恐らく1000年の歴史を調べて、安全安心を考慮して選定されたと思います。法然寺境内には、14の井戸と5つの米倉があったと聞いています。まさに出城であったわけです。
そして字新田ですから、仏生山町内でも新しいことをはじめた地であったと推測されます。仏生山町の一番北の端、一部が太田上町に接しています。そして「甲」ですが、仏生山町内は「甲」と「乙」があります。私の浅学非才の知識では、「甲」がちきり神社の氏子が生活するエリア、「乙」が熊野神社の氏子が暮らすエリアのように聞いています。
またこの地の最大の恩恵は、400年前に松平頼重公がこの地に菩提寺を作り、産業を育成されたことにあります。疲弊したのでは墓所の行く末が心配だとお考えになったのだと拝察します。城下から麺職人を連れて、仏生山町内に住まわせ、今で言う「そうめんづくり」をはじめたのだと聞いています。
そのほかに、造り酒屋、醤油屋、お酢屋さん、家具から竹細工など多くの産業振興に功績が大です。また法然寺の檀家はいませんが、墓所を町民に分け与え、人心を束ね防御にも寄与する結果になったと思います。だから仏生山町民の多くが、法然寺と何らなの縁を頂いています。
私も25年前までは麺職人でした。最後の麺どころとして、法然寺が母体の社会福祉法人竜雲学園にそのノウハウをお譲りしました。それが今では境内で、野口リーダーを中心として、障害を持つ人らと共に美味いうどんやラーメンを作っています。ラーメンも隠れメニューですが、龍満さんの味が今に続いています。
400年前は菩提寺でしたが、これから先は髙松市民病院です。建設工事がまもなく始まり、3年後には新しい規模と陣容を備えた新髙松市民病院が、ここから徒歩5分くらいのところに完成します。新しい産業振興がおこりそうです。実に良いところに西山自動車ができあがりました。おめでとうございます。