第8813回

終戦の詔書と教育勅語

今年のお盆は、春から『出作熊野神社』の責任総代になってにわかに古代史の勉強を始めたこともあり、天皇陛下の存在も再認識しているところであります。とりわけ昭和20年8月15日の玉音放送を、複数のYouTubeチャンネルで拝聴しました。便利な時代で、知ろうと志せば、教材は身の回りに豊富にあります。幾つか比較検討するのも、面白いですね。

前後して、断捨離を兼ねて、ライオンズクラブ関係の資料も整理に入っております。高松栗林ライオンズクラブで、地区高松キャビネットを構築するなら必要になると思われていた資料も、廃棄処分の段ボールに入れました。整理をしていたところに、26年前クラブ事務局を通じて故吉峰泰夫氏から頂いた、教育勅語に関する原本写しや解説文のB5用紙4枚が出てきました。

先の終戦の詔書は81年前、教育勅語は1890(明治23)年発布ですから今から130年以上前に出された勅語です。ともに日本語ですから、現代人の私といえども読めないはずがないと思いつつ、恥ずかしながら全文を正しく読んで、真の理解が出来ないのは非常に残念な次第であります。教育勅書は当時いたずらに例会で読み上げた私の読み方があまりにも酷かったので、吉峰先生が原文等一式を送って下さったモノでした。

何で読めないのだろうと疑問に思いながら、時間の経過より、環境の変化に原因の一端があるように思いました。今や明治時代の教育勅語などを持ちだすことが、時代錯誤甚だしいと言われそうですが、その内容は父母を敬愛し兄弟姉妹は親しみ愛し合い、夫婦は互いに仲良くし、友達同士は真義をもって交わり、各自は謙虚でぜいたくをつつしみ等の文面は、今こそ日本人に求められる道徳感ではないかと思うのです。

新型コロナウィルス禍の時に、ライオンズクラブという集団は大声を出して詩を歌う変態集団のように言われましたが、まず万国共通の国歌斉唱です。これも戦後教育の弊害で、国歌君が代は天皇崇拝の歌詞で、教育の場で歌うことなど禁止すべきだと言われましたが、今では国際競技を観ることも増え、冒頭に国歌斉唱は当たり前のこととして国民も受け入れています。

今日私が改めて申し上げたいことは、日本は戦後GHQの方針で奪い去られた日本古来の伝統と言うべき一連のしきたりを、この際堂々と復活したら良いのではないかと言いたい。一番にすべきことは、総理大臣の靖国神社参拝、二番目は『新・教育勅語』の発効、三番目は少子高齢化対策を外国人に頼らない宣言。今言い出すと国際情勢に悪影響は必死、東南アジア諸国からは気が狂ったかのように言われ、不買問題も出かねませんが、市井の日常生活でも近所は決して良くは言いません。ではいつ言い出すのですか、それでもやはり今でしょう。

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