自らの習慣を変えることについて
ちょうど1年前に、夫婦して人間ドックへ行きました。「大過なし」と診断されてホッとして帰ったのですが、帰る前に栄養士さんに、「まず休肝日を作りましょうね」と言われていました。その栄養士さんが若くて綺麗だからではないのですが、一週間の内に一日の休肝日を作る決意をしました。
その日が何曜日になるかは、その週の予定によって変えることにしました。固定すると、一抹の寂しさがあります。自分で決めるとそれが案外、「しかたがない」と諦められるのです。
それでもその日はなかなか寝付きが悪くて、たいして酒量は飲めないのに自分の体質がアルコール依存していることを知りました。依存症という重傷ではありませんが、習慣として、帰るとまず焼酎グラスにお湯を入れて、その上に焼酎を入れて食卓につきます。
それが今年に入ってからは、休肝日を1週間に2日にしました。やれば出来るものですね。半年間ぐらいは、休肝日の私は借りてきた猫のようにしょんぼりしていました。やらされているという被害者意識も見え隠れしていました。
それでも週2日となると、これに計画性がより生まれます。医学的には連続の2日が良いのでしょうが、これに拘ると火曜日がライオンズクラブの例会理事会日と言い訳が入ります。よってバラバラでもとにかく2日、休肝日を作っています。
それがここへ来て諸般の事情から、1週間近くの休肝日になっています。やはり焼酎にも事欠くようになったかと心配はご無用です。焼酎は飲めます。もっとも背中の開いた女性のいる店では無理ですが、自宅では好きなだけ飲めます。理解のある女房殿です。
それとは理由が異なりますが、結果1週間の休肝となるとまた習慣と体質が変わるのを感じています。要するに人間は、「日頃の習慣=常識・固定観念」という2次方程式(決して2次とは言えない数式ですが、心の葛藤は十分複雑です。)の呪縛に縛られ続けて、新たな行動がなかなか出来ないのではないかという自分の弱さを身を以て感じています。