まゆみの里歴史巡り
標題の本をかみさんが、大量に持って帰って来ました。自分の生まれ故郷の同窓会を毎週やっています。正式には『檀紙地区地域おこし運営委員会史跡部会』と言うらしいのですが、家では『檀紙の史跡部会』と呼んでいます。自宅からクルマで20~30分のところが実家で、その付近の喫茶店で会合をしているようです。その部会員として、責任部数を持って帰りました。1冊1千円と言いますが、それでは売れません。4万円は、自腹を覚悟しているようであります。
発行は12月1日、檀紙地区地域おこし運営委員会によって行われていますが、仏生山町も『町誌』をつくりたいと、私は『特定非営利活動法人仏生山魂再開発フォーラム』の4番目の仕事として、一日も早くスタートしたいと関係者に訴えています。町誌は時間がかかります、2年3年、もっとかかるかも知れません。一日も早くスタートしたいと願っています。遅れるだけ資料も散逸し、取り組む人も、さらに高齢化します。
さて折角ですから本の中身を少し紹介します。檀紙地区は高松市の西南部に位置し、檀紙(だんし)町・御厩(みまや)町・中間(なかつま)町の三町から構成されています。檀紙小学校内に設置されている方位盤によると、北緯34度17分50秒、東経133度59分47秒となっていると書かれています。また地区の大半は、北に向かい緩やかな傾斜を持つ平坦地を形成しているとある。残念ながらこのままの数字をグーグルマップに入力すると、アメリカ西海岸あたりを差し示します。33.300183,133.993852で検索すると、檀紙小学校が出てきます。
『檀紙村の誕生と高松市への合併による廃村』の章によれば、1890(明治23)年2月15日、旧檀紙村・旧御厩村・旧中間村3村合併し檀紙村となる。と同時に旧3村が、大字檀紙・御厩・中間となる。そして戦後10年少し経過した1956(昭和31)年9月30日、高松市に合併。檀紙村を廃し、各大字が檀紙町・御厩町・中間町となる。合併時人口5,770人、東西3.22㎞南北2.55㎞、面積約8K㎡。同9月25日廃村式、小中学生は日の丸の旗を振り村内を回る。帰校後紅白まんじゅうをもらい下校とあります。
写真をふんだんに取り入れ、ポッケトサイズで持ち歩きを優先し、その現場へたどり着けるように工夫がされています。もっと知りたい編10には『知っておきたい借耕牛(かりこうし)のこと』が書かれています。部会は令和5年9月12日に冨田紀久子(あわ/さぬき借耕牛探訪記著者)さんを招き、『借耕牛(かりこうし)』の講演会を催して、借耕牛についても記載をしています。
私も、旧知の冨田紀久子さんの著書を読みました。徳島からやって来た牛で、讃岐の土地は肥沃に耕され、さぬきうどんの小麦が出来たのかもしれません。後世に語り継ぐべき史実だと、私も考えております。徳島・香川は浅からぬ縁で今も昔もつながっています。『借耕牛(かりこうし)』は先般紹介の川北文雄氏も、映画『カリコ牛』地元制作委員として名刺までつくり、応援しています。
史跡部会長・久利博文氏の前書きには、本書は郷土の先人たちが実に11年に亘って真剣に研究、編集した『檀紙村誌』を参考文献として活用しました。史跡として由緒ある場所や、檀紙地区住民として知っておくべき伝承など必須の見所を取捨選択しました。とあり、まずは仏生山町誌づくりだと思いました。因みに檀をまゆみと読むらしい。