33歳河野壮吉君の告別式
先輩不動産業者河野二郎さんの次男壮吉さんが逝去したとの知らせが、届きました。33歳の若さです驚きました。そして、喪主の挨拶を聞いてさらに驚きました。病院に搬入されてからだろうと思いますが、わずか2時間後にあの世に召されたというのです。高松の病院でそんなことがあるのだろうか。
河野二郎さんは、私が麺職人をしていた頃、まだ結婚する前頃から付き合いのある私が尊敬する男の一人です。私から見ても、「やりすぎ」と心配することがあるくらい、やることが徹底した男です。私は、潔しと好感を持って見ています。奥さんも良く、池田塾等で存じ上げています。
そのお二人の次男さんが病弱であることは、市井の噂で聞いていました。それでも詳細を知ったのは、今日の喪主挨拶からです。7歳で余命6ヶ月と言われながら、懸命の努力で33歳の一昨日まで生きて、わずか2時間でこの世を去り、二郎さんは「無念」と絶句していました。
長くなるだろうと断りながら、喪主の挨拶は30分に及ぶものでした。通夜式は、早めに焼香をして恩田多賀雄塾長を高松駅へ出迎えに行きました。通夜式での喪主挨拶は聞いていません。通夜式でも、喪主の挨拶は30分だったと、久しぶりに拝顔した日下雅彦会長が話していました。
私は同業になってから河野二郎さんを注視しながら、ある意味背中を見ながら仕事をしていました。善し悪しを別にして、河野二郎さんは高松では有名人です。キャラクターの濃い人です。弟の河野守邦さんも不動産業者で、守邦さんは全国区で有名人です。
私も時間をやりくりしながら通夜式と告別式に出ましたが、告別式が2時間、その内喪主挨拶が30分というのは、初めての経験です。親より先に逝くのを「逆縁」と言いますが、二郎さんも替わってやりたい思いだったのではないかと、私ももらい泣きしました。
難があると親子兄弟の絆は、一層強固なものになります。私も早く父親を亡くしました。そのためか、妹や母親との絆は、かみさんが入れなかったと言うぐらい強く固いものたったようです。二郎さんところは、もともと親兄弟の絆が強いところに次男壮吉さんの体調不良から、一層強くなったのでしょうか。
その点私の2人の息子は、普通ではありますが河野家に比べると泥弱です。私の愛情が足りないのですね。私も河野さんのように、美味いものを手作りして息子等に食べさせようか、しかし成人した今からでは遅いかな。改めて自分を見つめ直す、機会となりました。壮吉さんの、ご冥福をお祈りしています。