日本初東京ライオンズクラブ結成60年

日本のライオンズクラブは、1952年3月にフィリッピンのマニラライオンズクラブのスポンサーで東京に誕生した「東京ライオンズクラブ」が日本初と聞いています。同年8月に横浜LCをはじめ、日本各地19クラブをスポンサーし、日本にライオンズクラブが燎原の火のように広がったわけです。
私の誕生がこの年の4月ですから、クラブも還暦を迎えたわけです。戦後間もない頃にボランティア団体のライオンズクラブが日本で発足したのです。最初に取り組んだアクティビティーは学校給食の普及であったと紹介されています。まだ食うや食わずのところもあったと思います。
昨年7月からの新体制で、東日本大震災の復興支援や東南アジアでの小学校建設にも取り組んだとも書かれています。
ライオンズクラブの発祥は1917年6月、アメリカのシカゴ市で一人の男メルビン・ジョーンズの提唱ではじまりました。あと8年で100年を迎えます。来月の韓国釜山での国際大会が第95回、その後はドイツ、ハワイ、福岡と続き、100回記念世界大会は発祥の地シカゴで開催すると漏れ伺っています。
蛇足ですが、先の19クラブの中に、神戸ホストLCが横浜LCに次いで3番目に結成になり、大阪が4番目、6番目が京都、7番目が名古屋、8番目が岡山と続きます。最初の頃の伝播は、ドクターメンバの存在とも言われています。スポンサーされて新クラブを結成するのですから、地元の名士を集める人望があったのでしょう。
そして神戸ライオンズクラブのスポンサーで、松山ホストLCが1953年10月に日本で5番目、勿論四国で一番目のライオンズクラブとして誕生しています。人脈ですね。歴史ですね。従って四国内のライオンズクラブの会勢は、松山が四国の中心です。確かに愛媛県は広くて、東予、松山、南予と3つのリジョンを擁しています。
一方岡山LCが1954年3月に、東京LCの8番目クラブとして誕生しています。このルートで、1956年1月に高松ライオンズクラブは誕生し、香川県下初ですが、ここから高松玉藻LCが1960年10月結成され、高松玉藻LCからわが高松栗林LCが1962年10月に誕生し、高松栗林ライオンズクラブは1964年に高松屋島LCをスポンサーしたと聞いております。
関係の薄い人には全く興味のない系図ですが、私は最近この手の系図が大好きで、「プチ歴オッサン」になっています。温故知新ですか、歴史は事実を積み重ねています。その発祥の東京ライオンズクラブの記事が、読売新聞の都内版に掲載されています。
プチ自慢ですが、女性の奉仕団体も幾つかあります。その一つ、ソロプチミスト高松は、1962年四国ではじめて、日本で2番目に結成されています。勿論はじめは東京に出来たようですが、大平正芳元総理大臣が、高松に第2の女性奉仕団体を作るように尽力されたと聞いています。
杉内投手のノーヒットノーランの記事は、やはり読売新聞で見なくてはと、羽田空港でパラパラとめくっていました。本当に偶然に発見したわけですが、「ライオンズクラブ」の活字は目に飛び込んで来ます。もちろん香川版には、この記事はありませんでした。
5月31日に都内のホテルで、記念式典を開催すると書かれていますが、メンバーは43人で、失礼ながら全国平均の30人を少し上回った会勢でしかなく、老舗も大変だと思いました。事務局は合同の事務局体制が敷かれています。それでも例会場が帝国ホテルと言うから、やはりライオンズクラブはライオンズクラブです。