高松港サンポート高松岸壁係留中の掃海母艦「うらが」で




高松港サンポート高松岸壁係留中の掃海母艦「うらが」(横須賀基地所属5,650トン)の、一般開放が31日・1日の両日開催されました。それに先立ち30日夜、「うらが」に招待しますとお誘いを受けて駆けつけました。就職指導担当の先生方との懇談会がお開きになるのを待ちかねて、急ぎましたが5分の遅刻です。自衛隊は、遅刻者を待ちません。店じまいの直前でした。
後方甲板に用意された懇談場は、もうすっかり出来上がっていて、知っている顔も知らない顔も、隊員と談笑に自己自慢(自衛官OBも大勢います)に、和やかな雰囲気が漂っています。
私は昨年と今年、2度目の乗船ですが、一番印象的なのは、船までのタラップが長いことです。これを隊員は見事に駆け上がるのですが、私は途中でため息です。それだけこの母艦は大きいのです。高さは14㍍あります。普通の建物なら、4階建てです。それでいてこの船ら掃海廷のボディーは、木造です。鉄製だと機雷が怒ります。
そもそも掃海艇が高松へ寄港するようになったのには、戦後からの歴史の恩恵があるのです。
第二次大戦中、瀬戸内海及び日本近海には67,000余個に及ぶ各種機雷が敷設され、昭和20年8月の終戦時、日本周辺の主要港湾、水路はことごとく機雷で塞がれていました。
戦後これら残存機雷を除去し安全な海上交通を再開することが、国家再建の緊急業務となり旧海軍関係者は率先して航路啓開業務に従事しました。
昭和27年までの6年有余に亘って主要な航路、80余箇所の港湾や泊地など総面積5千平方キロに及ぶ海域が警戒され、我が国の産業経済の復興に大きく貢献しました。この間、航路啓開隊員は風浪寒暑と戦い、自らの危険を顧みず掃海や獏博物処理に挺身し、不幸にも79名が殉職しました。しかし日本国はこの事実を、長く隠してきました。
その英霊に対して、御霊心やすかれと祈願して、後輩は金比羅さんを目指すのです。そのために、海上自衛隊呉地方総監部総務課が、毎年高松に掃海艇を寄港させています。